8月27日 アモス書3章8節

獅子が吠える、誰が恐れずにいられよう。主なる神が語られる、誰が預言せずにいられようか。
アモス書3章8節(参考箇所同書3章3〜8節)

アモスは前8世紀半ば頃の人で、エルサレムの南にあるテコアの生まれで、南ユダ出身でありながら北王国イスラエルで預言者活動をしたことで知られています。

アモスは預言をするにあたって、語らずにはいれなくなると言うのです。獅子が吠えると誰しもが恐怖を感じるように、神がアモスに語られるので、語られた言葉を胸に止めることはできないのです。それは「打ち合わせもしないで、二人の者が共に行くことはなく、獲物がないのに、獅子が森の中で吠えることはない」(3〜4節)のと同じように、おのずと預言の言葉は出てくるのです。

わたしたちが人前で祈ったり、信仰の証を語るとき、このアモスの言葉は考えさせるものがあります。ルターが「我々が祈るとき、どのような貧しい祈りであっても、祈りの言葉は神が教えてくださる」と言います。立派な言葉でなければ、人前で祈るのは恥ずかしいと思うなら、祈りの言葉が自然に出てくるとは言い難い気持ちになることがあります。祈りの言葉を洗練された人間の言葉に置き換えようとしているのかもしれません。

貧しい祈りであれ、訥々たる証であれ、語るべき言葉は神が与えてくださいます。それを語らないはずはありません。

 

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