7月5日 詩編100編3節

知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民、主に養われた羊の群れ。
詩編100編3節(参考箇所詩編100編1〜5節)

「信仰とは自分よりも偉いものをもつことです」とあるキリスト教幼稚園に長く務めた方が言われた言葉を思い出します。きっと子どもたちに信仰とはなにかを教えるとき、難しい言葉を使わずに説明しようとすれば、これ以外の表現が他にあるでしょうか。

人間は自分が世界の主人公になることを本性としてきました。自分より偉い存在はないということです。しかし人間は自分で自分の存在を造り出すことはできないのです。存在とは所与のものである、その事実に人間は目をつむって、自分より偉い存在はないと主張してきました。

この矛盾を無視したまま、人間は物事を押し進めてきました。ちょうど人間に作られたロボットが人間を無視して、すべてのことを意のままにしようとするようなものです。

聖書はそれを罪といいます。罪という言葉の聖書原語には「的外れ」という意味がありますが、人間のすることなすこと皆、的外れの結果を生むのは、それこそ罪の結果に他なりません。

人間は、自分の存在も含め、すべての存在をあらしめた「自分よりも偉い」お方がおいでになることを事実として受け入れねばなりません。詩編の作者は、それを「知れ」と言っているのです。

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