【幾何学抽象画家・大寺俊紀牧師】大切な人の魂を思い、抽象画ならではの聖書の表現に導かれる。 【たまものクラブ】

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幾何学抽象画家 大寺俊紀牧師

大寺俊紀牧師 アトリエにて制作風景

--大寺先生は、牧師でありながら、現代美術界でも評価を受けておられるとお伺いしましたが、その関連はどういった流れだったのでしょうか?

私には大変苦しい思いをして亡くなった、妹の重い病と死が、私とキリスト教信仰への最初の出会いでした。
私が18歳の時、妹が大病をし、入院先に行きましたところ、その病室に聖書が置かれてあり、気になって、一度教会に行きました。しかし、その時は「歓迎されているようには感じられませんでしたから」、それっきりになりました。
それから約30年間、画家としても認められ、社会活動の会長などでも貢献し、少しは有名になっておりました。大阪府の教育委員会の委員にも招致されていました。
おもては「先生」とか「美術館の館長」とかで、もてはやされておりましたが、内面の自分がとても恥ずかしく、罪深さや冷たさなどに非常に苦しんでいたのです。

その後、妹に続き、姉も本当に不幸な亡くなり方をしましたので、「人の死後はどうなるのか、姉や妹たちはどこへ行ったのか」を知りたくて、お寺や神社に電話予約して尋ねて行ったり、色々本を読みましたが答えは得られませんでした。

そんな時、特にトラクトを見たわけでもなく、誰かに言われたわけでもないのですが、突然「聖書を読みなさい」と一時間ほど荘厳な声で語りかけられたのです。
そうして聖書を読み始めましたところ、

「一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの間には喜びがあるのです」

*ルカ15:10

このことばを見て、「私が悔い改めるのを、天では御使いたちがこの30年近く待っていてくれたのだ」と感動しました。46歳の時でした。
そこから私はまず、聖書を学び、3年後に洗礼も受け、作品も幾何学抽象画スタイルを使いながら聖書のエピソードを描くようになりました。

--そこから牧会を始められたのですか?

これにも驚くべき備えがあったのです。

駅前のビルにある私のアトリエで、聖書研究会を開始したのが50才で、53才から母教会と牧師の強い勧めで開拓伝道を始めました。しかし、開拓伝道には乗り越えなければならない課題がありました。

私は画家活動と同時に、23歳から子どもに絵を描くということを教えており、又、26才から野外活動団体を組織し、子どもたちと一緒に、野外の自然愛護活動と造形活動もするのです。
この活動は会員が200人くらい、リーダーも育てながら、20年続いていました。
活動の一環で行われたシンポジウムなどが注目され、やがて大阪府泉南(せんなん)市の森の土地を2ヘクタールほど無償で10年間貸していただくことができました。

そこで、「創造の森子ども美術館」という、野外立体作品の展示と指導、沢山の子どもがアートキャンプできる施設を始めたのです。それが45歳の時でした。

創造の森子ども美術館

創造の森子ども美術館の様子

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