【哲学名言】断片から見た世界 ヒュームの『人性論』について

「印刷機から死産した」 ーボロボロになって崩れ落ちた、ヒュームの哲学的主著

ものを書くというのは、繰り返しにはなってしまいますが、スリリングな戦いの世界です。ということは、予想をはるかに超える大勝利もあれば、当然、目も当てられないほどの惨敗も起こりうるでしょう。今回は後者のケースを眺めつつ、「なるほど、こういう時には負けるのか……」という教訓を引き出しておくことにしましょう。

「いかなる著述の企ても、私の『人性論』ほど不運なものはなかった。それは『印刷機から死んで産れ』おちたのである。狂信家のあいだに、ささやきの一つを起こすような評判すら得られなかったのである。」

上に掲げた文章は、『人性論』を書いた十八世紀の哲学者、デイヴィッド・ヒュームが後年になってから、この著作の手ひどい失敗を振り返ったものです。「印刷機から死産した」とは何とも痛ましい表現ですが、彼の身に一体何が起こったのか、簡潔にたどってみることにしましょう。

若きヒューム、『人性論』のために奮闘する

1739年の一月ごろ、当時28歳のヒュームはロンドンの街で、期待と不安に胸をふくらませていました。それというのも、彼の哲学的主著である『人性論』が奮闘のかいあって、いよいよ出版されようとしていたからです。

今回の記事ではその内容に立ち入ることはしませんが、この『人性論』は哲学の世界では、今日でも読まれ続けている名著です。ヒュームという人は、哲学の歴史の中において時おり出現する、いわゆる早熟の天才型に属します。三十代から四十代、場合によっては五十代の後半にしてようやく代表作を書き上げる哲学者たちが多い中で、ヒュームはすでに28歳にして自らの哲学を仕上げ、その発表に乗り出したというわけです。

当時のヒュームの心境はすでに述べたように、「不安ではあるけれども、その一方では、大反響が巻き起こるのではないかと大いに期待してもいる」といったものでした。友人には「どうなるかなぁ。哲学に詳しい人たちはたいてい偏見に満ち満ちてるし、偏見に満ち満ちてない人たちには、哲学的なセンスがない人が多いしなあ。売れるかなあ、ドキドキ」といった趣旨の手紙を書き送っています(わりと失礼な話です)。そんなこんなで本は出版され、さてどうなるかと蓋を開けてみると、いやもうこれが、著者を絶望のどん底に叩き落とすほどの無反響だったというわけです。

見るも無残な挫折……にも関わらず闘志を捨てることなく、逆転劇へと突き進んでゆくヒューム

結果は、ひどいものでした。「天才ヒューム、現る!」どころではなく、本の方は、ほとんど完全な無反響としか言いようのないありさまでした。本人はなおも諦めることなく『人性論摘要』という本を匿名で書いて、「いやいやいや、この『人性論』って本、ほんとすごいなあ!大発見だなあ!この本を書いた人って、ほんとすごいと思うなあ!」と主張したのですが(要するに、無反響に耐え切れなくなった本人自らがサクラを演じた)、人々はいっこうに煽られることなく、若きヒュームはついに、すべての希望を捨てました。著者渾身の哲学的主著はこうして、全くの無反応に終わったのです。

見るも無残な結果ではありましたが、あらためて考えてみると、まあそれはそうなるであろうなという気もします。『人性論』は言ってみれば、これ以上ないという位にディープでマニアックな、純粋哲学の本でした。専門的な哲学の議論に興味を持つ人の数は今も昔も、それほど多くはありません。ましてや、二十代で成功を収めようと思うならば、たとえばルックスを売りにするなり、コア層ではなくライト層を狙い撃ちするなり、はたまた、プロモーションでチートするなり、要するに、およそ哲学的とは言いがたい何らかの手段が必要であったことでしょう。「わたしはまだ見ていないものを望んでいるのだから、忍耐して待ち望む。」哲学に限らずとも、何らかの意味で「真理の道」と呼びうるような人生を歩んでゆこうとする人には、何はともあれ、忍耐の徳が必要であることは間違いありません。

ただし、一通り絶望した後でファイティング・スピリットを取り戻したヒュームが突き進んでいったのは、哲学の道とはかなり異なる「ど派手なルート」でした。「売れない哲学はもう封印だ!」と決意したヒュームは、続いて書き上げた『道徳政治論集』をスマッシュ・ヒットさせて文筆界に本格的に進出し、さらには、四十代に入ってから「うおおお、俺はこんな所では止まらないぜ!」と完成させた『イングランド史』が大ベストセラーとなり、不気味なほどまでに勝ち上がってゆきます。マネー・パワー・リスペクトのすべてを手にしながら華麗なる知的セレブの仲間入りを果たし、さらには海の向こうのフランス社交界でもアイドル級の扱いを受けて大歓迎されるなど、さらにイケイケでアゲアゲなことになってゆくヒュームの後半生をここで詳しくたどることはしませんが、あの『人性論』の手ひどい挫折の頃から振り返ってみると、実に遠くまで来たものだという感じがします(「ベイビー、人文知でシャンパンなんて朝飯前だぜ……!」)。

おわりに

こうして、『人性論』は後年のヒュームにとってはある種の黒歴史となり、本人には封印されてしまいましたが、興味深いことに、この本自体はヒュームの他のすべての著書を押しのけて残った哲学の名著として、今日でも読まれ続けています。印刷機から死産したと思っていた赤ちゃんはすくすくと育って、人類の共有財産となったというわけで、人と著作の運命の不思議さを感じさせずにはいないエピソードであるといえます。

 

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