牧会あれこれ
-
【毎月1日連載】牧会あれこれ (28) コロナ禍が起こした教会の新しい変化
最近、コロナ禍は個人の人生のみならず、社会・経済状況、医療、福祉、教育の分野に至るまで大きな変化を与えた。今まで、当た…
-
牧会あれこれ(1)賀来周一
説教雑感牧師であって、毎週の説教作りに苦心しない人はいない。しかし、説教というものはなかなか不思議なというべきか、恐…
-
牧会あれこれ(15)賀来周一
牧会は、人と人が向き合い、一対一で人のニーズを満たすことを基本とする。平たく言えば、膝と膝をつき合わせて、一人の人に…
-
【毎月1日連載】牧会あれこれ(20)「牧会配慮の必要を問う」
今日の教会では牧師や司祭が減少しているが、それを補う力が信徒の中から生み出されようとしている。コロナ禍がなくとも、信…
-
牧会あれこれ(14)賀来周一
「教会というところは、難しいところですな。わたしが会社にいた頃は、部下に『これをしておいてくれ』と言っておけば、すぐ…
-
牧会あれこれ(5)賀来周一
もはや治る望みはないが、信仰があれば病気が治ると信じたい。生身の人間としては、もっともな願いだ。けれども、その願いは…
-
【毎月1日連載】牧会あれこれ(19)賀来周一
すべての人に独り子が与えられ、すべての人が愛され、すべての人が永遠の命にあずかる出来事が起こったと福音は告げる。それ…
-
牧会あれこれ(2)『信仰において譲らず、愛において譲る』賀来周一
しばしば信仰に生きているつもりでも、日常の中では、世の中にも自分にもいささか妥協気味に生きていることがある。そのよう…
-
【毎月1日連載】牧会あれこれ (30) 君と僕は同じだ
私の所属する教会では、ほぼ50年にわたって重度身体障がい者と関わってきた。今はコロナ問題があり、中断しているが、これま…
-
牧会あれこれ(11)賀来周一
「何もできない」、「何をしても効果はない」、「こんなことでは」と思い込んでいる時、その後ろには、「何かをしなければ」…
-
【毎月1日連載】牧会あれこれ(25) 神にのみ栄光あれ
ある年の冬、ドイツの教会から招かれてハノーバーの北西50キロほどにある町ロックムに赴いた。町には12世紀に創建され、宗教…
-
【毎月1日連載】牧会あれこれ (27) コロナ禍の中のクリスマスプレゼント
クリスマスと言えば、何時もの慌ただしい生活から奪われている幸せを取り戻す季節の行事なのに、今年のクリスマスは、何時に…
-
牧会あれこれ(6)賀来周一
ある日、教会でこの婦人に話しかけている青年がいた。「信仰とは何でしょうね」。すると、「そりゃー、あーた、自分より偉(…
-
【毎月1日連載】牧会あれこれ(24)「私の死と私の物語
教会にTさんという女性がおいでであった。死と向き合った人である。Tさんは、検診の結果、末期がんと分かり、ご自身の決断で…
-
【毎月1日連載】牧会あれこれ(18)賀来周一
人は自分のために生きているという思いから解放されない限り、自分の願望成就の奴隷になってしまう。「キリストに生きるため…
-
【毎月1日連載】牧会あれこれ (26) 老いてこそ
江戸時代、年寄りを揶揄(やゆ)するが如き狂歌が世に出た。「皺がよるほくろが出来る、背がかがむ、頭は禿げる、毛は白くなる…
-
牧会あれこれ(8)賀来周一
ナマの人間関係を作るのに最もよい手立ては訪問伝道にあると私は考えている。裏を返せば、教会が信徒のところにやって来るの…
-
牧会あれこれ(7)賀来周一
人生を変えることのできるものがある。それは己の決断の仕方である。そのためには、変えることができるものは何であるかを〈…
-
【毎月1日連載】牧会あれこれ (29) 自死の問題を信仰で受け止める
最近、新聞やテレビで自死の問題がしばしば取り上げられるようになった。自死の問題は、人間の知恵で計り知れないところがあ…
-
【毎月1日連載】牧会あれこれ(21)賀来周一
へりくだっている自分は、弱々しい自分かもしれない。しかし、その弱々しい自分であればこそ、神からの慰めを受けることがで…