聖書からよもやま話
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その日のメニューが何であれ、給食を喜ぶ【聖書からよもやま話353】
給食のとき、僕たちはその日のメニューによって喜んだりがっかりしたりします。同じように僕たちは「神様の与えてくれるもの…
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ロバを探しにでかけたら王になった話【聖書からよもやま話352】
サウルの「王への道」は「おつかい」からはじまりました。「日常の小さなできごと」から思いもかけない大きなことを起こすの…
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「災害対策」はバッチリでも「罪対策」はどうでしょう【聖書からよもやま話351…
災害がいつ襲ってくるか分からないように、罪もまたいつ襲ってくるか分からないものです。いつ襲われても被害を最小限にでき…
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「正論のアドバイス」はニンニクのようなもの【聖書からよもやま話350】
体が弱りきった人にニンニクを食べさせたら余計に弱ってしまうでしょう。心が弱った人に「正論のアドバイス」をぶつけるのも…
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1日に26回の感謝【聖書からよもやま話349】
目標は1日26回の感謝!・・・ですけど、それはすぐには難しいですから、せめて1日5回、いや3回は感謝して生きたいと思…
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信仰を守るのには、知恵も人格も役に立たない【聖書からよもやま話348】
ソロモンは信仰と祈りによって知恵を与えられましたが、信仰と祈りを忘れてしまった時、その知恵さえも奪われてしまったんで…
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調子が悪い時に、最優先で整えるべきもの【聖書からよもやま話347】
何かがうまくいかない時、何もかもうまくいかない時、僕たちはついあれやこれやとためしてしまいますが、そんな時にまず整え…
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神様の愛ある「テープ起こし」【聖書からよもやま話346】
ヨブは嘆きに嘆き、怒りに怒って、「僕のこの声が本になればいいのに!」と言いました。ヨブさん、ばっちり本になってますよ…
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「何を食べるか」よりも「何を食べないか」【聖書からよもやま話345】
商業主義社会は「あれを食べろこれも食べろ」「あれをしろこれをしろ」と僕たちに勧めます。でも本当に大切なのは「何を食べ…
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「厳しいこと」を言うのは気が重い。だからこそ感謝を。【聖書からよもやま話34…
誰かに厳しいことを伝えるのは、誰にとっても気が重いものです。しかし、だからと言って伝えないわけにはいきません。いつま…
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木があれば実はなる。〜「まず行動!」はどうして危険か〜【聖書からよもやま話3…
色々な自己啓発本か何かで「考えるよりまず行動!」なんて言われています。ちゃんと信じないままに行動せざるを得ないことが…
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羊であっても獅子の心を忘れない【聖書からよもやま話342】
クリスチャンはもしかして「強く雄々しく」を忘れてはいないでしょうか。神様は自分の愛する民に「強く雄々しく」あることも…
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「もう死んだってかまわない」と思えるほどの喜び【聖書からよもやま話341】
大抵の場合「もう死んでもかまわない」という喜びの表現は、あくまで表現上の慣用句のようなものです。しかし親子や肉親の関…
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野菜はしおれさせた方が食べやすい【聖書からよもやま話340】
時にしおれたり、時には一緒にしおれたりできる人の方が末長く付き合えるような気がします。そしてたぶん、そんな関係の方が…
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「自分の誕生」は誰にとっても制御不能【聖書からよもやま話339】
人は誰も自分で「よし、産まれるぞ!」と決めて、この世に産まれません。気づいた時には既にこの世に産まれていたはずです。…
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何をやっても怒られるなら、もはや気にしない【聖書からよもやま話338】
何をしても、何をしなくても、どうしてもあなたのことを批判する人は必ず一定数いるんです。そして、そういう人に対して時間…
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他人の成功を喜べる人になる方法【聖書からよもやま話337】
人の成功を素直に喜ぶことは、自分の成功への道。頭では分かっていてもなかなかできることではありません。それが人間にとっ…
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「知者」よりも「愚か者」であれ【聖書からよもやま話336】
知恵や技術というのは身につければ身につけるほど「もう自分は十分に身につけた」という気持ちが生じてしまうものです。「知…
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大昔から人間は昆虫を食べていた【聖書からよもやま話335】
2500年以上前に、昆虫を食べて良いか否かということが記されているということは、当時から虫を食べる人たちはいたという…
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神様に対する「面従腹背」は超危険【聖書からよもやま話334】
神様を信じるのに「○○だから」という理由は必要ありません。理由のある信仰は、その理由が達成されたら「神様ありがとう!お…