偶像崇拝の心
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けれども、本当に自分に正直になるなら、適切な休みを取ることへの私の不安は、実際的問題や認識の問題よりもずっと深いところにある。「教会員が悪い。教会が無理な要求をするからいけない」と言ってしまえば、それは誠実さを欠く。これは自分のせい、私の偶像崇拝の心のせいでもあるのだから。それどころか、「教会の命は牧師から、少なくとも牧師を通して流れ出るもの」と語ってきたのは自分かもしれないのだ。
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ユージーン・ピーターソンは著書『黙想する牧会者』(邦訳なし)で、ポワティエのヒラリウス(4世紀のラテン教父の一人)を引用している。ヒラリウスは、牧会者が犯しがちな罪について述べている。その罪とは、「神に代わって神のわざを行おうとする不信仰」だ。つまり、「牧師の心」という罪である。
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この責任を、巷(ちまた)に流布する「組織の頂点としてのリーダー」というイメージに求めることはできる。「リーダーこそ、インスピレーションやモチベーション、推進力の源」というイメージだ。
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またはこの罪を、「牧師の制度や学識は、人の救いのために必要なもの。そして、教会の命にかかわるもの」と触れ回る「成功した」牧師のせいにすることもできる。
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あるいは、「明確なビジョンを持って社交的なリーダーは、教会の成長と生命力そのもの。そうしたリーダーは確実に教会を大きくし、活性化する」などと言い広める教団教派のリーダーたちの責任にすることさえできるだろう。
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誰のせいにしようとしても、それは失敗に終わる。自分の魂のあり方の責任、そして自分が信じてきた嘘(うそ)の責任を取るべきなのは私自身なのだから。
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私が信じてきた嘘とは、「自分は重要人物だ」という嘘、そして「私のアイデンティティーは私の職業に依って立つ」という嘘だ。
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さらには、聖霊の力についての嘘もある。私自身が指示しなくても、聖霊の力は働き、物事を変えるのに、「私がいなければ聖霊は働かない」という思い込みだ。
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こうしたことを念頭に置きつつ、休暇の計画を立てるため、いくつかの約束をしよう。(次ページに続く)
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「クリスチャニティー・トゥデイ」(Christianity Today)は、1956年に伝道者ビリー・グラハムと編集長カール・ヘンリーにより創刊された、クリスチャンのための定期刊行物。96年、ウェブサイトが開設されて記事掲載が始められた。雑誌は今、500万以上のクリスチャン指導者に毎月届けられ、オンラインの購読者は1000万に上る。