不安の原因
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休みを取ることを不安に思うのは、なにも聖職者に限った話ではない。しかし聖職者には、これに信仰という味つけが加わる。聖職者は、魂のケアという分野に関わる仕事を「崇高なものだから休んではならない」と思いがちなのだ。
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実際的な問題
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もちろん実際的な問題はある。「私たちがいない間、誰が何をするのか。いつもの目に見えない仕事をきちんとするにはどうしたらよいのか。不在の間、講壇を重んじて、信仰とまことに満ちた説教をしてくれるのは誰か」といったことだ。特にリーダー層の不足を感じている場合、こうした実際的なことを心配して私たちの動きは止まってしまう。
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認識の問題
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けれども、休むことへの不安は、牧師が留守にする際に生じる「誰が、何を、どうやって」という問題よりずっと深いところにある問題から来ている。認識の問題から来る不安もある。牧師によって不安の感じ方は異なるが、これは言及に値する。
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自分の休みを計画しながら、自分が休みを取る理由を説明している、いや、ほとんど言い訳していることに私は気づく。「もう6カ月も休んでいない。長いこと旅行のためのお金も貯めてきた。安い旅だし、贅沢(ぜいたく)しているわけではない」
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そして、ひそかに思う。「教会の人たちは、私が休んだら妬(ねた)んだりするかしら。暇で、わがままで、教会や、教会が必要としていることにしっかり取り組んでいないと思われないかしら」
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教会員の什一(じゅういち)献金や献げものから牧師謝儀が出ているという事実が、いっそう不安を増す。「自分は、教会員が支えてくれる謝儀に値する者であって、教会員の負担で贅沢な生活をしているわけではない」ことを証明する必要をしばしば感じるのだ。(次ページに続く)
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「クリスチャニティー・トゥデイ」(Christianity Today)は、1956年に伝道者ビリー・グラハムと編集長カール・ヘンリーにより創刊された、クリスチャンのための定期刊行物。96年、ウェブサイトが開設されて記事掲載が始められた。雑誌は今、500万以上のクリスチャン指導者に毎月届けられ、オンラインの購読者は1000万に上る。