この病気は死で終わるのではない。神の栄光のためである。(ヨハネによる福音書11章4節)
ベタニアにラザロとその姉妹が住んでいた。主イエスはその家をよく訪ねられた。そこには主が彼らを愛し、彼らも主を愛する人格的な交わりがあった。遠い地でラザロの病気の知らせを聞いた主イエスは、すぐにベタニアに向かおうとせず、弟子たちに今日の聖句を語って、なお二日間同じ場所に滞在した。主イエスはラザロの病気が死ぬほど重くはないと言ったのではない。主はラザロの死期が近いことを知っておられた。主イエスはご自分とラザロとの人格的な交わりは、肉体の死によって終わるものではないと言ったのである。
人間は食べて生きる生物的存在であると同時に、他者との交わりによって生きる人格的存在である。神は人間を人間同士の交わりだけでなく、神との交わりを持つ者として創造した。神は人間に神との交わりを土台として、他者との交わりを築き、社会を形成することを求められる。神との交わりのない人間は、神の目には失われた者であり、霊的に死んでいる。「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる(エゼキエル18・32)。人の死を喜ばない神は御子(みこ)イエスによって人の罪を贖(あがな)い、人が神に立ち帰る道を開いてくださった。
今や、主イエスを信じる者は罪を赦(ゆる)されて、神との人格的な交わりを回復する。神の前に出る礼拝を喜び、神から霊的な祝福をいただき、この世の遣わされた場所で神の御心(みこころ)に応えて生きる。神との交わりは永遠であって、肉体の死によって消滅するものではない。主イエスはこの奇跡によって、ご自分との交わりを持つラザロの死が消滅ではなく、復活であることを示されたのである。

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。