一日の発見
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11月30日「わたしは光として世に来た」
わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。(ヨハネによる福音書12章46節)
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9月16日「立ち上がり、歩きなさい」
わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がリ、歩きなさい。(…
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11月22日「わたしは良い羊飼いである」
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは、羊のために命を捨てる。(ヨハネによる福音書10章11節)
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7月11日「キリストが復活しなかったのなら」
キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。(コリントの信徒への手紙I…
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7月5日「あなたがたはキリストの体」
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。(コリントの信徒への手紙I 12章27節)
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5月3日「わたしが来たのは、罪人を招くため」
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(マルコによる福音書2章17節)
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4月24日「強くない者の弱さを担う」
わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うへきであり、自分の満足を求めるべきではあリません。(ローマの信徒への手紙15…
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4月13日「良い知らせを伝える者の足は」
良い知らせを伝える者の足はなんと美しいことか。(口ーマの信徒への手紙10章15節)
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10月9日「良心に従って神の前で」
兄弟たち、わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました。(使徒言行録23章1節)
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6月5日「本当に、この人は神の子だった」
イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。(マルコによる福音書15章39節)
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3月30日「苦難をも誇りとします」
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むと…
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4月3日「義のための道具として神に献げなさい」
自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。(ローマ信徒への手…
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8月23日「憐れに思い」
まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐(あわ)れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。(ルカによる福音書15…
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3月16日「なぜ、わたしをお見捨てになったのですか」
わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。(マタイによる福音書27章46節)
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1月31日「私が来たのは、剣をもたらすため」
私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。(マタイ10:…
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7月7日「最も大いなるものは、愛である」
信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(コリントの信徒への手紙I 13章13…
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11月26日「いつも一緒にいるわけではない」
貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。(ヨハネによる福音書12章8節)
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3月27日「神の恵みにより、義とされる」
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。(ローマの信徒への手紙3章24節)
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7月28日「神に仕える者として」
わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、あらゆる場合に神に仕える者としてそ…
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3月28日「その信仰が義と認められます」
不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。(ローマの信徒への手紙4章5節)