一日の発見
-
5月21日「神の国に入るのは、なんと難しい」
神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。(マルコによる…
-
8月13日「だれが、隣人になったと思うか」
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。(ルカによる福音10章36節)
-
4月16日「すべてのものは、神に向かっている」
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。(ローマの信徒への手紙11章36節)
-
9月30日「バルナバは、連れていきたいと思った」
バルナバはマルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。(使徒言行録15章37節)
-
5月26日「神のものは神に返しなさい」
皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。(マルコによる福音書12章17節)
-
9月4日「信仰がなくならないように祈った」
わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。…
-
7月27日「今こそ、救いの日」
「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今…
-
10月30日「来て、見なさい」
フィリポは 「来て、見なさい」 と言った。 (ヨハネによる福音書 1章 46節)
-
7月6日「愛は忍耐強い」
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを…
-
1月20日「空の鳥を見なさい」
自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、思い悩むな。……空の鳥をよく見なさい」(マタイ6:25)
-
6月4日「なぜ、お見捨てになったのですか」
わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。(マルコによる福音書15章34節)
-
11月5日「わたしが与える水を飲む者は」
この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、 わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。(ヨハネによる福音書4章13〜14)
-
8月30日「失われたものを探して救うため」
今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。…
-
5月25日「これが隅の親石となった」
家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。(マルコによる福音書12章10節、詩編118編22節)
-
10月29日「見よ、神の小羊だ」
見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。 (ヨハネによる福音書1章29節)
-
6月1日「裏切るその者は不幸だ」
人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のため…
-
10月27日「言の内に命があった」
言(ことば)の内に命があった。 命は人間を照らす光であった。(ヨハネによる福音書1章4節)
-
10月31日「わたしの時はまだ来ていません」
婦人よ、 わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。 (ヨハネによる福音書2章4節)
-
11月30日「わたしは光として世に来た」
わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。(ヨハネによる福音書12章46節)
-
9月19日「神から出たものであれば、滅ぼすことはできない」
あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかし…