伝統文化に対するキリスト教の適応の仕方――葬儀の事例から ヴィクター・リー 【東アジアのリアル】

中国の伝統文化では「終わりを慎み、遠きを追う」(「先祖を敬う」という意味の孔子の言葉)や「死者を尊ぶ」ことが強調されており、中国人は葬儀を非常に重んじる。

一般に、キリスト教の葬儀は伝統的な葬儀よりも簡素化されており、通夜・出棺・葬儀・埋葬といった伝統的なプロセスは踏襲して「受容」されているものの、焼香・焼紙・叩頭・招魂・風水・拝礼など、迷信的な儀式は取り除かれている。伝統的な通夜の儀式は家族・友人による拝礼と僧侶・道士による読経が一般的だが、キリスト教式葬儀の場合は、逝去者の所属教会が信徒グループを組織し、葬儀場で代わるがわる賛美歌を歌い、祈るように手配する。従来、葬儀会場は逝去者の家かその付近に設けられたが、現在では政府が建てた葬儀場が増えている。

葬儀場では基本的に、中央へ十字架が飾られ、「神愛世人」(神は世人を愛された)、「安息主懐」(主の懐で安らかに)、「楽園安息」(天国で安らかに)、「栄帰天家」(天の故郷に栄光の内に帰還)といった言葉が中国式の対句の形で書かれ、花輪ではなく花かごで花が飾られる。伝統的葬儀で家族・友人が身に着ける白い布は、キリスト教式葬儀では赤い色の十字架が印字された袖章に替わり、納棺や出棺など要所要所で牧師が祈る。

浙江省温州の典型的なキリスト教葬儀

キリスト教葬儀における最も重要な「転化」は、葬儀を家族・友人・地域社会に対する伝道集会とすることだ。現在の中国では、キリスト教信仰を公共の場で表現することは難しいが、葬儀はキリスト者にとって、公に聖書を読み、賛美歌を歌い、「イエスを信じれば永遠の命を得ることができる」と記した十字架を掲げられる、貴重な機会となる。中国の教会が近年行う伝道集会の方式が葬儀にも反映されており、賛美バンドが演奏し、牧師は故人の信仰の証しに触れながら来賓に信仰への呼びかけを行う。

しかし近年、中国の都市化に伴い、通夜や葬儀は葬儀社に移行し、大規模な伝道集会的な葬儀は減少している。さらには政府による思想統制下にあって、公共の場での賛美歌や祈りなども制限されることがある。

キリスト者は伝統的な葬儀の要素を断固として「拒絶」する一方で、程度の差こそあれ、「混合」も見られる。例えば、温州のキリスト教葬儀の通夜でよく歌われる「天堂真快楽」(天国は真に喜ばしきかな)という賛美歌の歌詞には「永遠に生き、老いることなく、悩みもない」「命の実を食べ、命の水を飲む」と、天国の至福の境地が鮮やかに描写されているが、ここには、中国の道教の伝統的女神である西王母の「蟠桃会」(ばんとうえ/西王母の聖誕祭)と不老不死のイメージが混在していることが分かる。

また特に年配の世代の信者の間では、「キリスト者は死後でもその体が柔らかく、遺影の表情が赤みを帯びて安らかなのは、臨終前に天使に迎え入れられたからだ」という迷信があり、それは故人が新生して救われていたことの証しである、と信じられている。これは中国の伝統的な五福(長寿・富貴・康寧・好徳・善終)の一つである「善終」(善き死)を期待するものであり、キリスト教と中国文化の混合の事例と言える。

温州のキリスト者は葬儀礼拝を重視するが、葬儀礼拝が教会堂で実施されることはほとんどなく、棺を教会堂に入れることもしない。これはキリスト者が教会で結婚式を挙げたがるのとは実に対照的だ。その理由として、教会近辺の非キリスト者の住民たちの目を気にしていることのほか、死をタブー視する伝統的感覚がキリスト者の中に残っているなど、複数の理由が考えられる。

中国社会が大きく変化していく中で、中国各地のキリスト教葬儀は、新しい世代のキリスト者たちによって今後もさまざまな適応がなされていくことだろう。(翻訳=松谷曄介)

 

ヴィクター・リー 1980年代生まれ。中国内陸の農村のキリスト教の家庭に生まれ、少年時代に農村家庭教会のリバイバルを見て育つ。中学卒業後、南方の都市部で職に就き、独学で大卒資格を得た後、神学校で学び神学学士を取得。現在、浙江省温州市の家庭教会伝道師。家族は妻と二子。

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